ひよこの葬列 -1-  季節が変わってしばらく、日が沈む早さにも慣れきった頃である。人気の無い道端に点在する古い街灯は頼りないが、帰途を行く程度は苦にならない。  途中、公園の入り口に差し掛かり、私はふと足を止めて中を覗いた。周辺が住宅地として開発され始めたばかりの頃には新しく居を構えた人の子供達で賑わっていたこの公園も、近隣の居住層の平均年齢が上がるにつれて寂れていき、時代の流れから殆どの遊具も撤去された今となっては、訪れる人もないただの空き地同然となっていた。  とはいえ、日の落ち切ったこの時刻に人影がないのは当然である。むしろ、あるとすればそちらの方が好ましくない。しかし、彼女はそこにいた。  大きな鉄のごみ箱の蓋を開け、身体が落ちそうなほどに上半身を預けて中を覗き込む人影は小学生ほどに小さい。誤って捨ててしまった何かを探しているのか、それともごみ漁りで飢えを凌ごうなどという幼い考えの家出少女か。  私は少女に近付いて声をかけた。理由が何であるにせよ、少女が一人でいるには相応しくない夜の闇である。  声をかけられるまで私の存在に気付かなかったからか、少女の身体がびくりと震えた。少女は素早く身体を起こしてごみ箱を閉じる。薄い金属板がかち合いたわむ耳障りな音が辺りに響いた。 「な、なに。何の用?」  寿命が尽きかけた蛍光灯の、羽虫がたかる明滅以外に確かな明かりの無い夜だった。慣れた道を歩くだけならともかく、初めて出会うお互いの表情の見分けまではつけられない。私に分かるのは、少女の顔の輪郭と、中心に通った鼻筋の美しさ程度だった。  慌ててこちらに向き直る少女の上擦った声を聴いて、私は、私が懸念する少女に降りかかる危険と、私自身の見分けが少女からはつけられない事に気付いた。一歩、見せつけるように後ずさりして、少女との距離を取る。  何をしているのか、私は少女に問いかけた。何かを探しているのならそれを手伝っても良いと考えていた。 「いや、違うよ。何か面白い物があったりしないかなと思って。宝探し」  表情はわからないが、少女の声には動揺が感じられた。少女が私に警戒心を抱いているが故の物だと言われれば確かにその通りだろうと思う。しかし、それにしても少女の挙動は不審に思えた。所在無げに身体を揺らし、私との会話を早く切り上げてしまいたいと思っているのがありありと伝わってくる。そして、それは背後にあるごみ箱に理由があるらしかった。そういう雰囲気を少女は放っていた。少女は嘘をついている。  私が指摘した瞬間、少女の纏う空気が一変した。見知らぬ他人と関わる緊張や居心地の悪さを嫌うそれまでの素振りは一切鳴りを潜め、射貫くように私に顔を向けた。 「だったら?」  異様にはっきりと聞こえる、愛らしい声色に反して底冷えするような声だった。少女の私への警戒心は既に敵対的なものに変わっている。しかも、どういう訳か、獲物を前にした捕食者のような、自らを上位者とみなす自信まで感じられた。  何を隠しているのか、そう尋ねながら、私は幼い少女を前にさらに半歩距離をとっていた。少女はそれに目敏く反応する。 「そのままずぅっと後ずさりして、あなたの家まで帰って」  私の本能が少女の危険性を訴えていた。今すぐに、何もかもを見なかった事にして立ち去るべきであると。しかし、私の理性はいまだに少女を侮っており、幼い少女を放置してこの場を去る事を臆病で薄情だと罵った。  この少女は異常だ。しかし、異常であっても、所詮は少女である。たとえ凶器の様な物を隠し持っていたとして、それで何ができるだろう。  私はこの雰囲気に反抗し自らを鼓舞するために努めて明るく、おどけた雰囲気で、ごみ箱の中身を捨てられた子犬か何かであろうと少女に言った。この大きな、ほぼ使われていないごみ箱を小屋代わりに飼おうとしているのだろうと。  少女は私の問いを待ち構えていたかのように即答する。 「そうだよ。でも、誰にも見せたくないの。だから、帰って。そしたら、私もすぐに帰るよ」  帰れと少女は繰り返す。独占したがるのは少女ほどの年齢の子供にありがちであり、それは特段不自然ではない。そして、少女の言葉が不自然ではないために、それだけで私は事態を楽観視する事にしてしまった。  子犬は何の知識もない子供がこんな鉄の箱に閉じ込めて育てられるものではない。言いながら、下がっていた足をごみ箱に向けて踏み出す。少女は何も言わず、あっさりと私に道を開けた。押しに弱いのは少女の少女らしさ故でない事に私は気づかなかった。  取っ手を掴んでごみ箱の蓋を持ち上げる。弱々しいとはいえ、街灯の真下にあるごみ箱は中身を確認するのに苦労しなかった。  ごみ箱の中に入っていたのは人間だった。両脚の失われた、青年の、おそらく死体である。  少女が私に声をかけられた時と同じように、私の身体は震え、息が詰まった。危うく蓋から手が離れそうになり、慌てて力を籠め直した。咳込みながらポケットをまさぐり、携帯電話を取り出す。人を呼ばなければならない。  しかし、ダイヤルを押した電話は私の耳にあてられる前に、背後から頬を掠めながら伸びてきた何かによって取り去られた。人の頭ほどの大きさの玉から生えた、甲殻類の鋏の様な物に私の電話が挟まれているのが見える。  何が起こっているのか分からず、私は緩慢な動きで振り返った。鋏付きの玉、それに繋がっている肉のロープのようなものは、少女の腕から伸びていた。 「帰れば良かったのにね」  私はごみ箱の蓋を叩きつけるように閉じる。目の前に浮く触手の先端が蓋に挟まれた。  とっさに逃げ出そうとする私の行く手を少女の逆の腕から伸びた触手が塞ぐ。鋏に胸を小突かれた私は体勢を崩し、その場に尻餅をついた。 「痛かったから、仕返しね」  触手の先端に開いた双眸が私を値踏みする。少女は人間ではない。人間以外の何なのか確かめる術はないが、それでも、確実に、少女は人間ではない何かだった。鈍痛が疼く胸を押さえる事も忘れて、私は少女に恐怖した。 「あなたも私に食べられたいの?」  少女の口とは別に、触手の先の鋏が開いて私の耳元で囁く。  少女は何者か、箱の中身は何者か、少女が殺したのか、私をどうするつもりか、私は矢継ぎ早に、口が回る限り少女に疑問を投げた。正しくは、頭に浮かんだ言葉がそのまま口を突いて出ただけで、少女の返答を期待してはいなかった。 「その人は近くの雑木林で野垂れ死んでいたのをここまで運んできただけで詳しくは知らない。あなたをどうするかは……どうして欲しい?」  少女は至極落ち着いた様子で答えた。生殺与奪権を握っている者の余裕かもしれない。しかし、私の内心は落ち着いてはいられず、少女の答えの意味を半分も理解する事ができなかった。ただ最後の「どうして欲しいか」という問いだけに反応して、反射的に、私は私と青年を見逃すように少女に懇願していた。 「何?」  私の言葉に反応して、少女の動きが一瞬止まった。思いがけない提案だったという風である。 「箱の中の人はもう死んでるけど」  青年が亡くなっているのは承知している。でなければ呻き声の一つも聞こえるだろう。だが少女は私を捕食する事を仄めかした。青年に対してもそうなのだろう。私にはどちらも了承できるものではなかった。私は生きてこの場を立ち去りたいし、青年は人ならざる者に食われるよりも、相応しく弔われなければならない。そのためなら私は私にできるどんな事でもするつもりだった。  背中を冷や汗が伝った。 「その人の知り合い? いや違うか。だったら訊かないよね。……つまり? ……変なの!」  少女は声をあげて笑った。その声色の美しさが状況の異様さを引き立てる。少しして、少女の動きがまた止まった。私から顔を背け、どこか遠くを眺める。それから、何事かを考えている様子であった。 「良いでしょう。その可哀想な死人に、相応しい弔いをしてやれば良い」  私の体感には永遠に続くかと思われた少女の思案は、実際には一分にも満たなかっただろう。いつのまにか背後のごみ箱から抜け出していた触手から、奪われていた携帯電話が私の腹の上に落ちる。そして、代わりに胸ポケットから学生証が抜き取られた。抵抗する程の余裕も私にはなかった。 「じゃあ私は帰るけど、私の事は他言無用で、ね。どうせ誰も信じてくれないと思うけど」  最後に「じゃあね」と、それだけ言って、少女は踵を返して公園から去って行った。歩きながら、二本の触手が萎んで少女の元の細腕に戻っていく。  少女の姿が見えなくなってからもしばらく私は身動きをとる事が出来なかった。たっぷり半時間はそのままでいただろう。興奮が収まり、乱れた呼吸が整いきってから、外気によって下がった体温を自覚して私はやっと我に返った。携帯電話の画面を見ると、警察に一旦は繋がっていたが、数分後に向こうから切られていた。無言のいたずら電話と思われたのだろう。改めてかけ直す。触手に突かれた胸を押さえつつ、私は青年の死体を公園で発見した事を電話口で伝えた。