ひよこの葬列 -10-  学校が終わるとほとんどの者は部活動に出てしまうので、暇になる私はそのまま帰途につく事が多かった。  私が部に所属していないのは母に代わって家事をするためだったが、母が家を空けがちになり、今のように長期の出張に出ていると、熱心に家事をする意義も薄れ、ただ手持無沙汰に放課後を過ごす事が多くなる。ひよりと一緒に暮らすようになっても、私の意識はあまり変わらなかった。 「君、今暇かい?」  鞄に教科書を詰めていると、声をかけてきたのは姉井故花だった。姉井は成績が良く、誰とでも明るく話すので、クラスでも存在感のある少女である。特別親しい訳ではなかったが、私も何度か話した事があった。 「手相を見てあげようか」  姉井は手相占いが良く当たると評判で、定期的に話題の中心になっている。  私も以前姉井に手相を見て貰う様に頼んだ事があったが、その時は他に用事があると断られていた。姉井とはそれきりしばらく話す機会がなかったが、姉井はその事を覚えていたのだろうか。 「ずっと後回しにして悪かったね」  姉井は愛想よく笑いながら机を挟んで私の向かいに座る。私も促されるまま鞄を床に降ろすと、右の手を姉井の前に差し出した。  姉井は両手で私の手を取ると、もみほぐすように広げたり、掌の溝を細い指でなぞったりしながら、わざとらしく「ふーん」「ほう」と声を上げた。姉井は普段から演技がかった話し方をするので、これもパフォーマンスの一環と思って私は気にしなかった。  姉井は自分からも良く声をかけて他人の手相を見ており、クラスでは既に二度三度と占われている者もいる程である。多くの手相を見ているだけあって、姉井は異性の手に触れても慣れた様子だった。私は変に異性を意識する癖があるので、その点で姉井の性質は羨ましい物だった。私が自分の手を見るよりも多く、姉井は他人の手を見ているのかもしれない。  姉井は「企業秘密」と言って手相の解説をしないので、占われている間、私はする事がなく、自分の手と姉井の顔との間で何度も視線を往復させていた。しかし、身体の小さな姉井が背中を丸めて手相に集中し始めると、視界が遮られて、後はほとんど姉井の脳天を眺めていた。  姉井は私の手相を見るのに普段より時間をかけている。いつもなら五分もすれば相手の性格や運勢を言い当てたりするのだが、私の場合は十分経っても姉井は何も言わないままだった。 「なるほど、ね」  やっと私の手を離した姉井はそのまま立ち上がった。 「今日は一緒に帰らない?占いの結果は帰りながら話そう」  唐突な申し出に私は面食らった。姉井も部には入っていないようだったが、こうした誘いをしてくるのは初めてだった。 「私も今日は一人でね。家は同じ方向のようだし、途中まででも。どうかな」  それはいかにも人好きな姉井らしい理由と思えた。断る理由もなかったので、私は姉井と一緒に帰る事に決めた。 「君は占いってどれくらい信じてる?」  姉井が口を開いたのは私達が校舎を出てすぐだった。運動部の掛け声と、吹奏楽部のとぎれとぎれの笛の音が遠くに聞こえる。 「占いで大切なのは相手に信じさせる事、当たっていると思わせる事だと私は思うんだ」  たとえ真実だったとしても、嘘だと思われれば意味がないという事かと私は言った。 「うん。そう。その通り。だから君は私を信じてくれ」  姉井をそう呼んで良いかは分からなかったが、それは占い師として落伍した者の言葉に聞こえた。信じろと言わずとも信じさせるのが占いをする者の技能ではないか。 「君は今大きな事件に巻き込まれているだろう」  帰途に私たち以外の姿はなかったが、それでもなお人に聞かれないように、静かに姉井は言った。  姉井の言葉に私はぎょっとした。姉井はひよりか青年について、あらかじめ何かを知っていて私に声をかけたのだろうか。それとも、占いによって偶然それらしい結果を喋っているだけだろうか。姉井がどの程度の情報と確信を持っているのかは分からない。私は占いを信じていなかった。 「でもそれは必ず解決するよ」  いつの間にか私の家の前まで来ていた。門を背にして姉井を振り返る。姉井は別れを言わない。 「きっとすぐに。約束する。だから諦めないで。信じていてくれ。ね」  姉井の言葉の真剣さに気圧されて、私はとっさに姉井の占いが的外れだと言えなかった。言っても無駄だと思った。 「それじゃあまた明日」  姉井は背を向けて、来た道を引き返していく。家が同じ方向だというのは嘘だったのか。  私は姉井に家まで送られる形になっていた。道案内をさせられたのかも知れない。私は少しの間姉井の背中を見ていたが、姿がなくなる前に家に入った。  ひよりが戻って来たのはそれから一時間ほどしてからだった。  私は姉井の事をひよりに話そうか迷ったが、黙っておく事にした。  事件からは既に三週間以上も過ぎている。姉井がもし何かを知っているとすれば、今になって私に声をかけてくるのはおかしい。また、自分の占いだけを根拠に行動を起こせるとも考えにくい。姉井は放置しておいても良いのではないか。  問題は私の話をひよりがどう判断するかである。もし姉井が深入りしてくると思えば、ひよりは何らかの行動を起こすだろう。それが姉井に危害を加える物でないとは限らない。私は姉井からひよりを隠したいが、ひよりからも姉井を隠しておくべきだと思った。  私はひよりに占いを信じているか訊いた。 「あんまり。でも、未来が見える超能力者はいるかもしれないね。私が死人の過去を見るみたいに」  私を励まそうとする姉井自身が私の新たな悩みの種になっている事を思えば、姉井に未来を見通す力はなさそうだった。