ひよこの葬列 -12-  出血のせいか、ひよりの疲労は相当のようだった。ソファに倒れ込んでから、夜になってもぼんやりしたままで、今まで欠かさなかった食事時の茶も飲まなかった。大丈夫かと訊くと頷くが、何も言わなかった。  一日待てば学校で顔を合わせる筈なので、私はすぐに姉井に会いには行かなかった。姉井の方からやってくればそれでも良いし、私は姉井の連絡先を知らないので、知っていそうな人間に訊いて周るのも、後の事を考えると不審に思われそうである。今のひよりを見ると、一人にして入れ違いになるのも良く無さそうだった。  休みが明けて、朝、私がリビングに降りると、ひよりはソファで水を飲んでいた。今朝の新聞はまだ取っていないらしい。昨日の物は血で読めなくなったので既に捨ててある。  体調を訊くと、「気にしなくて良い」と返された。言葉を発する程度には回復しているようだ。コップを持つ左手はもう傷跡も残っていない。  茶を飲むかと訊くと首を振られたので、私も朝食は抜く事にした。 「私、今日は家から出ないから」  どこへ行けば安心という事もないので、それで構わないだろう。  私は一旦家を出て、郵便受けから新聞をひよりの前に置いてから、学校へ向かった。  教室に入って姉井を探すと、姉井は自分の席で友人数人に囲まれていた。折れた左腕はギプスで固めている。  私は自分の席に向かう途中で姉井に呼び止められた。 「今日の昼は一緒に食べよう」  話は昼休みにすると姉井の側から指定された事になる。放課後まで待たないのは何か狙いがあるのだろうか。  午前の授業を終えた私は、普段一緒に昼食を摂っている友人達に断りを入れてから、姉井に付いて教室を出た。  姉井は一度、隣の教室を覗き込んで誰かを探しているようだったが、何も言わず、そのまま廊下を進む。 「学校に来られる程度には無事で良かったよ。死んでいてもおかしくないと思っていたからね。半ば諦めていたと言っても良い」  中庭ではいくつかのグループがまばらに弁当を広げていた。距離があるのでそれぞれが話している内容までは聞こえない。  私が答える前に、姉井は一人でベンチを占拠している少女を見つけて片手を挙げた。少女は姉井の姿を認めると、膝の上の食べ掛けのパンを脇に置いて、紙パックのジュースを口に含んだ。  少女は隣のクラスの桜庭涙炎だ。交流はないが、私は桜庭の弟と親しいので、名前だけは知っていた。 「彼女は桜庭涙炎。私達の仲間だよ。涙は炎、なんて、面白い名前だよね」  桜庭は姉井に紹介されるのに任せて黙っていた。桜庭が昨日の槍使いなのだろうか。  姉井に促されて、私はベンチに座った。姉井は桜庭と私の間に座ると、桜庭が持っていたビニール袋からパンを取った。 「あの人外はまだ君の家にいるんだろう。……君を始末するでもなく、同じ場所に居座ってるなんて、大した自信だね。自分が誰にも負けないとでも思っているのか」  私は姉井達が何者なのか尋ねた。超能力を使って人外と戦う少女達は、日頃から命のやり取りに慣れているように見える。 「君が見たとおりの、ただの女子高生さ。化物とやり合うのは鹿狩りみたいな物かな」  鹿狩りという言葉には人外を殺す事への楽しみがあるようだった。  私は今日までの経緯と、ひよりが特殊な能力によって孤独な死者の弔いをしている事を姉井達に話した。  食事の手を止めた姉井の表情には、話が進むにつれて陰りが出てくる。最後にひよりと争うのをやめるように言うまで、口の中の物を飲み込みもしなかった。  化け物よりも信じられない物に相対しているかのように、姉井は私から目を逸らす。 「君の……君の言いたい事は分かったよ。……私は君のやっている事は正気とは思えない」  聞けば誰もが姉井と同じ事を言うのだろう。だから私はこの事について姉井と議論するつもりはなかった。私は自分の考えが他人に蔑ろにされる物であると理解している。 「そもそも、君が言ってるのは本当の事なのか?」  私は姉井の前に片手を差し出した。姉井が他人の記憶を読めるなら、私が嘘をついているのかも分かる筈だ。嘘を見破れないほど不完全な能力なら、やはりひよりを悪と断じる事は出来ないだろう。  姉井は制服の袖を伸ばして自分の手を覆ってから、私の手を押し返した。 「君の記憶を見ても意味がない。君が騙されていない証拠にならないからだ」  ひよりが私を騙していないと姉井に証明する事は出来ない。警察が真犯人を捕らえればそれが証拠になるが、いつになるかは分からない。世間ではもう、あの事件は迷宮入りした物という扱いすらある。  姉井は僅かに語気を強めながら言った。 「どうしても件の殺人の犯人が別にいると言うなら、君がそれを見つけるしかないね。骨を食べさせれば手掛かりが増えるんだろ」  故人の骨を損壊しても手掛かりになるとは限らないと返すと、姉井は立ち上がり、私を正面から見下ろした。 「殺人犯を探し出す能力があるのに何もしないって言うんなら、私から言える事は一つだよ。次は私達が勝つ」  予鈴が鳴り、桜庭が立ち上がると、姉井はそれで気が削がれたのか、一転して落ち着いた調子で私をなだめるように続ける。 「なぁ、私はまだ君の味方のつもりだよ。私達がまたあの人外と戦うには準備がいる。君がそれまで上手くやれそうならそれで良いんだ」  私達は教室に戻った。放課後になると、いつものように姉井はいなくなっていた。  家に帰ると、薄暗い部屋で、テレビの明かりが目に悪い照明になっていた。ひよりの眼が映像を反射して無感情に煌めく。  電灯を点けると、ひよりは私を見た。朝は髪が少し乱れているように見えたが、今は綺麗に整えている。 「おかえり」  迎えの言葉に反して、ひよりには私を遠ざける気配があった。かと思えば、二人掛けのソファの端に寄って、私が座る場所を作ったりする。相変わらず、どこかおかしいという事だけを主張して、それが何かは読ませないところがある。  隣に座ると、ひよりは日中見たテレビの話や、腹が減ったので何々が食べたいというような事をぽつぽつと喋った。私との間に壁があるというよりは、壁が出来てしまいそうなのを防ごうとしているのだった。昨日私が掃除を終えた後にはしばらく機嫌が良く見えたが、時間が経つと思うところがあったのかも知れない。  私が姉井達の事を話そうとすると、ひよりは俯いて私の言葉を遮る。 「あなたが言えば全員殺してあげる。そうじゃないなら興味ない」  私は手を伸ばして、ひよりの頬にかかった髪を耳の形に添って後ろに流した。ひよりは鬱陶しそうにしながら、私の手櫛に合わせて顔を上げる。  私達はしばらくテレビを見ながら普段通りに雑談などをした。それから一緒に飯を食うと、ひよりはもういつもの調子に戻っていた。