ひよこの葬列 -2-  それからは騒ぎになった。警察だけでなく、近隣の住民まで公園を取り囲んだ。私が命の危機にある時には人っ子一人姿を見せなかったというのに、と、私は内心で悪態をついた。  私はできるだけ正直に警察に全てを話した。ただ、少女の怪物に関してはぼかした表現にせざるを得なかった。少女は自身の事を他言無用と言ったが、どちらにせよ私の証言は何の役にも立たないだろう。  痣になって腫れ上がった胸の手当てを受け、私はパトカーで警察署から自宅へ送り届けられた。自宅の位置を確認する意図もあっただろう。当然だが、私にも青年殺しの多少の嫌疑がかけられている。  財布から取り出した鍵で玄関を開けて家に入り明かりをつけると、しばらくして警察官達は戻っていった様子だった。  夜は更けていた。私はその日は風呂に入る気力も湧かず、そのままベッドに入った。一旦は死を覚悟しながらも無事に家に帰る事が出来た私は心身ともに疲れ切っており、玄関をくぐってからそれが一挙に押し寄せていた。 -3-  次の日、私はインターホンの音で目を覚ました。時刻は昼前。今日と明日は学校も休みである。  昨夜は怠く重たかった身体は、幸い疲労を残していなかった。精神的にも、出来事があまりにも衝撃的過ぎたからか、むしろ現実感がなかった。  しかし昨日の出来事は確かに現実であったらしい。玄関を開けると、そこにはあの少女が立っていた。片手にはチラシが挟まれたままの新しい新聞を握っている。 「こんにちは」  満面の笑みを浮かべる少女は美しかった。日の光の下で改めて見る少女は、その実態に比例するかのような驚異的な美貌を誇っている。私が身体を逃げようと動かす事すら出来なかったのは、化け物が自宅までやってきてしまった事に対してとうとう自らの生命を観念したのが半分、もう半分はこの少女に見惚れてしまったからだった。 「どんな事でもしてくれるって昨日言ったよね。して貰いに来たよ。上がっても良い?」  私は黙って後ろに下がり、少女を自宅に招き入れる。昨日、私は少女に何ができるものかと思った。しかし、今はその逆である。この少女に対して、私に一体何ができるだろうか。大声をあげて助けを呼ぶよりも先に、私は少女の触手に貫かれて死んでしまうだろう。少女が求めるとおりにする方がまだ賢い選択と思えなくもなかった。 「お邪魔しまぁす」  履いていた靴を無遠慮に脱ぎ捨てる少女を先導して私はリビングへ向かう。 「お父さんかお母さんは?」  少女はまるで見た目通りの少女そのものの様に言う。  私には父は死んでもういない。母は私が高校にあがってから仕事で家を空ける事が多くなり、今も出張の最中だった。昨夜も私が巻き込まれた事件について電話で話はしたが、心配をかけても仕方がないので、何の問題もないと言っておいた。まだしばらくは帰って来ない。 「それは結構だね」  少女の何らかの目的を果たすのに都合が良いという意味だろう。私にとっても、母を巻き込まずに済むのは都合が良いと言えた。  リビングに入ると、少女は我が物顔でソファに腰を下ろす。 「何かジュースとか頂戴」  飲むのかと私は少女に訊いた。おそらく飲むのだろう。だがそう訊かずにはいられなかった。 「他に何するの」  案の定、怪訝な表情を浮かべて少女は言う。私はそれに分かったとだけ答えて冷蔵庫に向かう。作り置きの麦茶をコップに注ぎ、盆にのせて運ぶ。その間、少女は脚を振りながら部屋を見渡していた。まるで無邪気な所作である。 「ジュースはぁ?」  目の前に置かれた物を認識すると、少女はこれ見よがしに眉間に皺を寄せて不満をあらわにした。少女の不興を買うのは私にとっても好ましくない。たとえ少女が漏らす不満が少女自身の愛くるしさを一分も損なわなかったとしてもだ。  しかし私はあまりジュースを飲まない。飲むとしても友人といる時くらいで、家ではもっぱら茶くらいしか飲まず、人と会う予定がある時でもなければ用意がなかった。 「まぁ良いけどぉ」  少女はコップを傾け、一息で麦茶を飲みほした。茶が通って鳴る喉が艶めかしい。私は少女の傍らに腰かけながらそれを眺めた。本来ならもう少し距離をとるべきだろうが、私は少女に抵抗する気を完全に削がれていた。 「昨日の死人はどうした?もう見送ってあげた?」  コップをテーブルに戻しながら、先ほどからと変わらぬ調子で少女は言った。私は自分のために注いだ茶で唇を濡らす時間をとった。  昨日の今日である。起き抜けの私は、警察に運ばれた青年の死体がどうなったかどころか、世間であの事件がどういう扱いを受けているのかさえ知らなかった。 「やる事が遅いなぁ。ほら」  少女がテーブルの上の新聞紙を指で示す。 「一面ね」  チラシをこぼしながら新聞を開くと、少女の言う通りに一面を見た。公園に脚を切断された若い男の死体。そんな見出しで記事が載っている。  青年は一昨日から行方不明になっていた。故人の行方が数日知れなくなる事は生前も良くあったらしく、捜索願も出されていなかったという。そして、青年の死因は胸と腹を鋭利な刃物で複数回刺された事による失血死という事だった。 「今すぐ詳しい人間に連絡を取って、葬式があるなら参列し、なくても墓に何か手向けてやりなさい」  幼稚な仕草と言葉遣いから一転して、私よりもはるかに齢を重ねたような物言いだった。短時間にころころと変わる少女の態度は強く私を惹きつける。 「まさか他人に引き渡しただけで満足しないよね?」  私は当然と答えながらテーブルの上の携帯電話に手を伸ばし、昨夜警察官の一人から渡されていた番号にかけた。電話はすぐに繋がり、私は青年の遺体について尋ねる。遺体は遺族が受け取りを拒否した為に、死後二十四時間以上経過した事が明らかと見做され次第、自治体によって荼毘に付される事になっていた。私は礼を述べてから電話を切る。  電話口での内容を少女に伝えるも、少女の反応は冷ややかだった。 「それで?」  もちろんそれでどうという事はない。私は故人の親しい人ではないので骨は拾えないが、青年に遺骨の引き取り手がなければ、数か月後の納骨を待ってから共同墓地へ花を供えに行くと少女に言った。 「ふぅん。まぁ、良くはないけど、それほど悪くもない。良いでしょう」  少女はひとまずは満足した様子であった。身体を反って伸ばすと、ソファの背もたれに深く身体を預ける。  少女は私が墓に花を供えるかどうかを確認するだけの為に私を訪ねたのだろうか。そもそも少女は何者で、何故ここまであの遺体に執着するのかも私にはわからなかった。あの青年は少女が殺したのではないのだろうか。改めて尋ねる。 「私はあの人が死んでいたのを見つけて食べようと思っただけだって。あなたの事はどうしてやろうかと思ったけどね」  ならばなぜ私は今こうして生かされ、青年は少し寂しいとはいえその身を墓に納める事ができるのか。 「私は孤独に死んだ者の肉と記憶を食べる人外。それは私なりの弔いだよ。それを邪魔するなら確かに人ひとり殺すくらいはどうって事ないけど、あなたが相応しい弔いをと言ったから任せた。それだけ」  少女は偶然見つけた青年の死体から脚を食って記憶を読み取り、青年が孤独に死んだ後、無縁仏として墓に個別の花も手向けられないであろう事を憐れんだという事らしい。亡骸を食い尽くし、より多くの記憶を読み取る事が死者の魂の慰めになるというのが少女の宗教だが、私が花を手向けるので、それで自らの役目を譲ったという事か。  ならば、これで後は私が青年の遺灰が墓に納まるのを待って花を供えるのを残すのみで、一旦は決着がついたと見て良いのだろうか。私は少女に確認した。 「これで半分くらいかな。どんな事でもしたって言うには、まだして欲しい事があるよ」  どんな事でもする。昨夜私が命乞いの為に少女に使い、今日玄関を開けた時にも少女に返された言葉である。しかし、少女の望む通り青年は弔われる。これ以上何をさせようというのか。 「しばらくここに住ませて」  無理だ。反射的に私が言うと、少女の上げた片手が金色の体毛に包まれ、先から鋏が飛び出した。私の胸に大きな痣を作った原因である。一夜明けて現実感を失い、何かの見間違いだったと半ば自分を騙し始めていたが、やはり少女は人間と言い張るには少々特殊らしかった。 「じゃあ殺す」  私は両手を突き出して少女を制止する。  あらゆる事が突然に起こりすぎていた。昨夜出会って以降、私と少女のやりとりは私に事態を納得させるのに必要な全ての物が足りていない。少女が私に何を求めるにしろ、私はまず少女について知らなければならなかった。 「あー、んー、わかった。良いよ。で?何を聞きたいの?」  少女の手の中に鋏と体毛が戻っていく。  私は喉が渇いていた。少女のコップも空になって久しい。腰を落ち着けて話すのならばと、私は代わりの茶を取りに席を立った。