ひよこの葬列 -4-  私は少女と私のコップに順番に茶を注ぎ直した。  私が未だ受け入れられないでいるのは、少女が人間ではないという事である。それは先程少女の手を覆った金の毛皮と鋏で明らかだったが、それで終わりに出来る程私は柔軟ではなかった。もう少し良く確認したい。しかしこれは少女と付き合っていく上で必要というよりは、物語上にしか存在しえない存在に実際に遭遇した事で湧き上がった好奇心の方が強い。 「何回確認するの?」  言いながら、少女は私の疑問を仕方のないものと受け止めているらしかった。少女の手がまた金の毛皮と鋏に変わり、私の膝の上まで伸長する。 「触っても良いよ。痛くないようにね」  少女の触手は近くで見るとむしろ正体がわからなくなる。内臓かミミズかの様にぬらぬらと光る枝の部分に、その先端の毛皮に覆われた球体は丸まった小動物の背の様である。扁平な鋏は中ほどに二つ穴が開いていた。 「それは鋏じゃなくて嘴。穴は鼻だよ。目もある。触手じゃなくて、頭ね。私の頭はひとつじゃない」  球体に二つ、巨大な目が開いた。そう言われてから改めて観察してみると、これは少女の身体から伸びている巨大な鳥、ひよこの頭を持ったミミズと表現するのが最も近いようだった。  これが複数ある頭の内の一つであれば、少女はこのひよこの口からも飲み食いをするのだろうか。私は手にしたコップを膝の上の嘴に近づけた。私の意図を察して開いた嘴の中にコップの中身を注ぐと、どのような構造になっているのか、確かにひよこは麦茶を飲んだ。何気なく頭を撫でると、ひよこと少女は気持ち良さげに目を細め、抵抗はしなかった。 「納得できたかな?」  少女が人知の外側にある存在、人外である事を私はようやく呑み込めていた。それさえ納得できれば、後の疑問にも簡単に理解が追いつけられそうであった。  私に羽毛を撫ぜられる少女の微笑みは、おそらく少女が初めて私に向ける純粋な微笑みである。いつまでも見ていたいほど可愛らしい。思わず呟くと、少女は一瞬だけ目を大きくして、私の膝からひよこの頭を腕に戻した。 「何それ。口説いてるの?」  私はからかう少女のそれを肯定しようかと逡巡してやめた。代わりに尋ねるのは少女が既に人殺しなのかという事である。少女が人間に敵対する存在だというのなら、これ以上関わる気にはなれなかった。 「私は人外だからね。世の中には人外というだけで狩りたがる輩もいるから、自分の身を守る為なら殺す事もあるよ」  私は少女の答えに違和感を覚えた。少女が自己の防衛の為にしか人を傷つけないというのであれば、少女はよほど人の世界に生きている。しかし、ならば私の胸の痣は何だろうか。 「それは蓋に挟まれたのが痛かったから仕返しって言ったでしょ。しかも実際殺してないし」  確かに私は少女に殺されていない。だが、一歩間違えばあそこから命のやり取りに発展する恐れはあった。 「あんなにしたのってあなたが初めてだよ。っていうか、普段はそもそも人に見られたりなんてほぼしないからね」  お互いにとってよほど運の悪い夜であったらしい。青年にとっては良かったと思いたいが。そう言うと、少女は「そうかもね」と笑った。 「あなたの顔って、見てると何だか色々したくなっちゃうんだよね。悪い意味だけじゃなくてね?」  悪い意味でもあるという事だった。  私の抱える疑問は粗方片付いてしまって、ようやく話を元の位置へ戻す事が出来そうだった。  少女はなぜ私の家に住ませろと言うのか。今まではどう過ごしていたのだろう。 「あっちへふらふら、こっちへふらふら。弔った相手の部屋で一晩過ごす事もあったし、野宿も悪い物じゃないよ。私は数日寝なくても大丈夫だし」  ならばなおさら私の家に住む必要はないように思えた。私が本当に青年に花を持っていくのかを監視するにしても、私には逃げ出す方が遥かに難しい。 「それもあるけど、最近この辺りにも他の人外や狩りたがりが増えてきてるから、私も落ち着ける拠点が欲しいんだよね。人の多い所ではそういう輩も動きにくいから」  そんな事を考えていた頃に私が現れたので、代わりに青年を弔わせるのにさらに便乗する事を思いついたと少女は続けた。  しかし、私は既に少女に対して命乞いをする必要がない事がわかってしまっている。力尽くで私を丸め込むのでなければ、私が拒否すれば少女はどうしてもこの家を出ていくしかない。そう言うと、少女は私の思いがけない反応を示した。 「お母さんはしばらく帰って来ないんでしょ?それとも、そんなに私と一緒に住みたくない?嫌なの?」  わざとらしい憂いを籠めて、少女は私を見つめ上げる。既に私の心臓を掴んでいるのは、暴力よりもむしろ、少女のこの愛愛しさだった。  私は母が戻ってくるまでという条件付きで、少女が家に住む事を了承していた。 「私の名前はヒヨリギゼグ。宜しくね」  さも深刻そうに私の顔色を窺う表情から一転して軽薄に笑いながら、ヒヨリギゼグと名乗った少女はポケットから私の学生証をテーブルに投げ出し、私の名を呼んだ。 -5-  私はヒヨリギゼグをひよりと呼ぶ事にした。元の名前は長く呼びにくい。私はそれを好まなかった。  ひよりはそれを二つ返事で了承してからは、一面から順に黙々と新聞を読んでいた。訊くとその新聞は私の家のポストに投函されていた物だった。  私はひよりを残して、昨日入らなかった風呂場へ向かう。  浴場で鏡を見ると、胸の痣は私が思っていたよりは大きくない。痛みもそれ程ではなくなっていた。酷そうであれば病院へ行こうかと考えていたが、この様子では必要なさそうである。  風呂で汚れを落とした私は、丸一日ぶりの食事を摂る事にした。ひよりの分も用意しようかと尋ねると、ひよりは睡眠だけでなく、食事もそれほど必要ないと言って断った。私が節制すれば多少の大食らいでも許容できるかと考えていたが、食費に関していえばありがたい誤算だった。 「私は食べたものの記憶も栄養にできるからね。食い溜めもできるし」  ひよりは普段は人間とほぼ変わらない食事をするが、そのたびに家畜や植物の記憶も己の物にしていると言う。私はそれを苦痛が伴うものではないかと想像したが、ひよりは気にしていないようだった。  私が食卓につくと、ひよりは何を言うでもなく私の向かいに席を取った。熱心に読んでいた新聞はソファに残し、代わりに、私が食べている間は新しい茶を飲んでいた。私は食事を共にしているつもりかとは訊かなかった。  食事を終えた私がテレビをつけると、丁度青年の事件が取り上げられていた。見つかっていない青年の脚を捜索する警察官たちの姿が映し出されるが、脚は既にひよりによって失われてしまっている。ひよりの弔いが、青年を殺めた殺人鬼を見つけ出し、青年の無念を晴らす事の障害になっていた。  私はひよりに青年を殺した犯人がわからないのか尋ねた。ひよりが食べた相手の記憶を自分の物にするのなら、青年の脚を食べたひよりには青年の記憶がある。死ぬ間際の記憶があれば、それは犯人を追い詰める大きな手掛かりとなるはずだった。 「わからないよ。食べて読める記憶は私が自分じゃ選べない。もっと量を食べればわかったかもしれないけど、脚だけじゃね」  ひよりは死者が孤独であるかどうかの一点にしか意義を認めていないようだった。  私は悩んだ。ひよりが青年を見つけなければ捜査がかく乱される事はなかったが、青年は誰にも死を悼まれず、それはあまりに哀れである。かといって、遺体を全てひよりの腹に納めて犯人捜しをするのも、私の宗教では正しくなかった。  私は警察へ赴き、青年の脚の行方と遺体の本来発見されるべきだった場所を証言し、せめてかく乱された捜査を正常に戻すべきなのではないかとひよりに言った。 「そんな事しても余計混乱させるだけなんじゃないかな。悪くすれば、私とあなたを捕まえてそれで解決、捜査終了なんて事になるかもしれないよ?」  ひよりの返答は私が考えていた物と同じだった。既に事件の解決へ向けて私にできる事は無く、警官たちが自然と真実にたどり着くのを期待するより他なかった。 「あなたは私からあの人を取り返して、人間の弔いをさせてあげようとしてるじゃない。後は花を供えるだけ。あなたはもう十分、他の誰もしない事をしてると思うけどね」  ひよりはテーブルに身を乗り出して、空のカップを私の皿に重ねた。人の姿をした少女は私を慰めようとしているのだろうか。 「あなたの想像に任せるよ。私はどっちでも良いからね」  口角を薄く上げて短く息を吐く。それがひよりの笑い方の癖らしかった。