ひよこの葬列 -6-  それから数時間、私とひよりはリビングで同じ時間を過ごした。私が一週間の洗濯や昼食の食器洗いを済ませている間、ひよりは新聞の残りの記事を読み切るのに時間を費やしていた。ひよりは暇を持て余しており、今までも公園や道端に捨てられている新聞を拾って読む事が多かったのだという。  夕食の時間になると、ひよりはまた私の向かいに座り、食事の代わりに茶を飲んだ。ひよりは私が食事を終えるのと、自分が茶を飲み切るのが同じになるように意識して飲む早さを加減しているようだった。私はこうしたひよりの気の遣い方を気に入っていた。  私が部屋に戻って眠る前に、ひよりは私に古新聞があるか訊いた。処分前の新聞を置く場所を教えると、ひよりはそれらを持ち出して、リビングで夜通し読んでいるようだった。  次の日の朝、目が覚めると、私は前日にひよりを風呂に入れてやらなかった事を思い出した。ひよりは態度こそ横柄だったが、私を慰めたり、相手に合わせて茶を飲む早さを変えるような細かい気の遣い方をするので、私に勧められないせいで風呂にも入れなかったのではないかと思った。  リビングに降りると、ひよりはまだ古新聞を読んでいた。本当に一睡もしていないようだが、顔に疲れは見えない。目の下に隈もなく、肌にはいっそ健康的な色つやがあった。  私は浴槽に湯を張りながら、風呂と着替えをどうするか訊いた。ひよりは着替えを持っているようには見えなかったが、どこかにあるのかもしれないし、なければ私の子供の頃の服が合えば良いがと思っていた。 「要らないよ。私は汚れないし」  私はひよりが風呂に入るのを前提としていたので、答えを聞いて言葉に詰まった。路上を放浪するような生活をしていたならば当然風呂に入れない日もあっただろうが、勧められても入らないのは遠慮を超えてただの懈怠だろう。汚れないという言い訳も、いかにも無精が使いそうだった。  汚れない訳はないだろうと私が言うと、ひよりは怠そうに顔を上げて、 「別の頭を隠してたり、食べた生き物の記憶を読んだりするのと一緒でさぁ、私は汚れないんだよね。服もまとめて汚れを弾けるの」  ひよりに備わっているいくつかの不思議な能力、汚れない事がその一つであると言われれば、途端に信じざるを得ないような気になってしまう。しかし、ただ言われただけで納得するには、風呂に入らないという事への私の忌避感は強い。  ひよりは流しに向かうと、掌を上に向けて二度手招きした。 「昨日の続きと思って見せてあげよう」  水栓をひねると、空気を含んだ柔らかい水が一本の柱になって、蛇口からシンクに繋がった。それに服ごと腕を潜らせると、水を吸った服が暗く色を変える。 「見ててよ」  言うと、袖から大量の水が滴り、後には手も服も濡れる前と同様に乾いていた。 「これで信じたかな?油とかでもやってみようか」  手を使わずに水を絞るだけの能力と言い掛かりを付ける事は出来るが、キリがなくなるので、適当なところで切り上げて折り合いをつける事にする。ひよりが汚れを弾けると言うのなら汚れを弾けるのだろう。 「嫌なにおいもしないでしょ?」  言いながら、ひよりは大きく一歩私に向かって踏み出した。頭と私の胸が触れそうなほど近付くと、清潔な人の良い香りがした。汚れた人間や獣とは違う、仄かに甘く温かい匂いだった。  近くで見ると、ひよりの服には、ところどころほつれたり、小さな穴が開いているのが見えた。洗濯はしないにしても、毎日着続けているのだから相応に傷んでいるのだろう。どこにでもあるような粗悪な既製品は、丈夫なつくりにもなっていない。 「あ、濡れたら寒くなってきたかも」  水を弾いても体温は下がるのか、ひよりは肩を上げて身体を震わせた。  せっかく湯を溜め始めていたので、私はまたひよりに風呂を勧めた。石鹸で身体を洗わなくとも、湯に浸かって温まって、ついでに傷んだ服も着替えれば良い。今着ている服は少しずつ直してやろうと言った。 「あなた裁縫出来るの?」  学校で習った程度で上手くもないが、子供の服のほつれや小さな破れを直す程度には堪えるだろう。 「いやぁ、久しぶりにお風呂入ったけど、中々良いね」  風呂から白い蒸気を揺らめかせながら機嫌良く出てきたひよりは、私が出しておいた子供服を着ていた。男児向けのデザインだったがひよりは文句もなく、むしろ体形に合って似合っていた。 「女の子向けのきゃらきゃらしたピンクのよりは、こっちの方が良いね」  身体についた水は能力で落としてしまったのか、髪まですっかり乾いていた。 「髪は濡れる理由もないしね。お湯に浸かってただけなんだから」  私はひよりの髪を乾かしてやろうと思って膝の上にドライヤーを持っていたが、使い所を失った事が分かると、コンセントを抜いてテーブルに置いてしまうよりなかった。 「ドライヤー使うにしても自分で出来るからね?」  私がひよりの髪を乾かす必要がないのは分かっていた。ただ、そうできれば楽しいだろうというだけで、私はドライヤーを持っていたのだった。 「はいはい」  ひよりは肩をすくめながら少し笑った。  その日の昼食はひよりも私と同じ物を食べた。  ひよりの小さい手には、私や、過去に父が使っていた食器は余る大きさだったので、茶碗などは母の物を使わせる事にした。それでも箸は長すぎて取り回しが悪いらしく、箸頭が何度かぶつかって軽い音を立てる。  私は子供用の箸を探しに席を立とうとしたが、ひよりは片手を挙げてそれを制した。 「食べてる間にうろうろするのもなんだし、今日はこれで良いよ。すぐ慣れる」  その後も何度か箸がもつれて落ちそうになっていたので、私は食べ終わるとすぐに箸を探して、箸立てに挿しておいた。他の食器も順を追って入れ替えてやる事にしよう。 「小っちゃい頃の服とかお箸とか、良く捨てずにとってあるね」  収納の邪魔になっていないので捨てる必要がなかったのと、母がこういう物をとっておきたがる性分なので、この家には私が生まれた時から使った物がほぼ全て残っていた。使われる事もないので奥にしまわれていて、探すのに多少手間はかかったが、意外なところで役に立ったようである。  平日になり、私が学校へ向かうと、ひよりもそれに合わせて家を出た。そして、夕方以降、私が家に戻ると、しばらくしてひよりも帰ってくるのだった。