ひよこの葬列 -7-  青年の事件の捜査は遅々として進展が見られず、日ごとに報道される事もまばらになっていた。  私の生活は同居人が一人増えた以外は拍子抜けするほど何も変化がない。警官も、報道の関係者も、一度も私の前に姿を見せていなかった。  私はひよりに、不足している物はないか尋ねた。 「んー、ないね。快適。結構だよ」  ひよりは傍らの新聞を片手でめくると、すぐ元に戻した。新聞が近くにあると癖で読もうとしてしまうが、今日の記事には既に目を通してあるので、読もうにも読めないらしい。  家に訪れる人がないのはありがたい事だった。事件との関係によらず、身元の分からない美しい少女を住ませているというのは、他人に知られるのに不都合である。 「もし人に私の事訊かれたら何て答えるか決めてる?」  親戚の娘と言うのが誤魔化すのに妥当と思えたが、調べればすぐに嘘と分かる事ではある。なんと言うのが適当か、私はひよりに判断を仰ぐ事にした。身分を偽るのはひよりに一日の長があるだろう。 「親戚で良いと思うけどねぇ。普通にしてれば何とも思われないよ」  私はそんなものだろうかと言って顎に手を当てた。最近起こっているいくつかの事柄に、何かをしなければならないとは思えど、そのどれもに手を出せないままでいるので、私はふと不安になっていた。 「そんなものだよ」  ひよりが私と対照的に落ち着いているのは経験の差だろうか。小さな横顔は頼もしいとも呑気とも見える。  ひよりはまた新聞をめくりかけて眉をひそめると、三つに折って部屋の隅に投げた。 「やっぱり不足あった」  なんだと私が返すと、 「明日の新聞が欲しい。今すぐ」  明日の明け方には用意しておくと言って、私は席を立った。 -8-  私は毎夜少しずつひよりの服を直していた。母の裁縫道具と布切れがあるので道具には困らなかったが、直し方を調べながら暇な時間の合間を縫うので、どうしても進みは遅い。 「学校で習ったって言ってたのに。でも上手いね」  風呂上がりのひよりは私に寄り添って裁縫の様子を眺めていた。  ひよりは初めこそ風呂に入る事を渋っていたものの、一度入ると気に入ったようで、あれから毎日欠かさずに入浴している。石鹸の香りこそしなかったが、温められた身体の熱が触れずとも伝わってくるので、私は嫌でもひよりが傍にいる事を意識していた。 「別に直さなくても良いんだよ?適当に買っただけで大した服でもないし」  声の聞こえ方が変わると、私はひよりが顔を上げてこちらを向いたのだと思った。  服が安いのは使われている生地と縫いの甘さからわかるが、私自身がまたひよりに着せたい一心で直している。この服はそれだけひよりに似合っていた。  ひよりは服を買うような金をどこで手に入れてくるのだろうか。まともな収入があるとは思っていなかった。 「食べた相手が持ってるお金を貰うんだよ。葬儀代とは思ってないけど、貰っても誰も困らないからね。私も人間だけ食べてる訳じゃないし、お金はあると便利だ」  私はひよりの人食いと、それに伴う一連の行為の善悪を判断できないままでいた。見る人によって、おぞましい邪悪とも、深い慈愛ともとれるだろう。あるいは、その時々によってもひよりの見え方は変わるかもしれない。私はひよりの生き方を、実際に判断が必要な場面を迎えるまでは不用意に触れられない恐ろしい物と見做していた。  服の修繕に区切りを付けて背筋を伸ばすと、ひよりの眉尻が下がっているのが見えた。 「もう一生分は質問責めにされた気分だよ」  ひよりは私の好奇心に任せた疑問にも良く答えてくれるので、気付くと私はひよりに質問ばかりしている。生活に必要な事を中心に訊いているつもりだったが、何の気なしに、ひよりの訊かれたくない事まで訊いているのかもしれない。 「スリーサイズとか下着の色まで訊かれてもうっかり答えそうだ」  そんな事までは訊かないと言いながら、私はひよりのなだらかな肢体を想像しそうになるのをごまかす為に、また服に針を通した。 「興味なかった?」  私は危うく「なくはない」と答えかけて寸前で呑み込み、代わりに指に針を刺した。指先に浮いた丸い血の玉を押さえる私を見て、ひよりは自分の指を刺したように驚いた。 「大丈夫?ごめんね。今言う事じゃなかったね」  ひよりはとっさに私の手に触れそうに腕を伸ばしながら、私の指と顔を交互に見返した。私は大した事はないと言いながら傷から手を離す。血はもう止まっていた。  ひよりはしばらく私の様子を窺っていたが、気が緩んだのか、口元に手を添えて肩を揺らす。形の良い唇の隙間から、小さな白い歯が覗いた。 「それにしても、動揺が分かりやすい奴だね。捕まるぞ」  私は指を刺した事よりも、考えをひよりに気取られた事の方が決まりが悪かった。 -9-  その日の新聞を読み終えたひよりはテレビでニュースを見ていた。  頬杖に揃えられた指が薄い頬の肉をいかにも柔らかそうに持ち上げている。マニキュアを塗っているのか、大きな眼と同じ紅色の爪が艶々と光っていた。 「今日は同じ事ばっかりだな」  不満を漏らすひよりの前からリモコンを引き寄せてチャンネルを変える。私が毎週見ているドラマが始まる時間だった。 「昨日は新しい事が多くて面白かったんだけど」  ひよりは私がドラマを見ている間はつまらなそうにしながらも黙っていて、合間の宣伝が始まるたびに口を利いた。  ひよりは連日熱心に新聞を読んではニュースを見る。数日は食事も睡眠もなく、延々と社会の流れを追い続けている。  暇潰しなら他の番組を見るか、私が持っている本を貸しても良いと言ったが、ひよりは「作り話には興味ない」と言って取り合わなかった。  私は気になる記事を二三読むだけでもそれなりの時間がかかってしまうので、一日の新聞を読み切った事もないくらいだが、それでなお暇というと、ひよりは日中外出してからどのようにすごしているのだろう。生きていくのに必要な事が少ない分、暇な時間は膨大になっているようだった。  ふと、ひよりなら外に出ても話し相手には困らないだろうなと言うと、 「誰とも話なんかしないよ。毎日うろうろしてるだけ。あとは人間観察か」  出会って間もない内から私とは良く話すので、ひよりは誰とでも話をするのが好きなのだと思っていたが、そうではないようだった。  孤独な死を食う人外は、社会の中に紛れながら、生きている誰とも関わらずに生きていける。私は、ひよりも、ひよりが食べてきた人々と同じように孤独なのではないかと思った。  最後の宣伝が終わったので、番組が終わるまで私は黙っていた。  黙っている間に、私は、たとえひよりが孤独だったとしても、それはいつでも抜け出せる孤独で、青年をはじめとした、孤独で無くなる可能性を永遠に失った人々とは根本的に性質の異なる物だろうと思い直していた。  私はひよりが一緒に住むようになってから時間が足りなくなって困ると言って笑って見せた。 「私の為にも、あなたにはもっと困って貰わないといけないね」  目を細めて口端を薄く上げる。ひよりの微笑みは優雅で、何とも可憐だった。