未完成 -1-  街は深夜になっても日中と変わらない活気を保っている。眩いばかりのネオンの明かり、思い思いに行きかう人々は、街の活気を更に勢いづかせているかもしれない。とはいえそれは大通りに限られた話で、少し横道に逸れると、往来の人は一気にその数を減らす。  楠鴫完成はそんな夜の路地を歩いていた。  楠鴫には深夜徘徊の癖がある。別段夜の街を面白いと思っている訳では無い。夜になると不思議と落ち着かなくなってきて、しばらく外を歩かずにはいられなくなる。いわば義務感に従った徘徊であって、楠鴫はむしろこれを嫌っていた。  どこからか、硬い金属を何度も打ちつけるような高音が聞こえてくる。音の出所を求めて辺りを探ると、どうやら音は路地裏の一本から聞こえてくるらしかった。 いくら活気があるといえども、真夜中に路地で工事をするものだろうか。 何かあるな、と楠鴫は直感的に感じ、音の方向へ歩を進める。  幼い頃からあらゆる人に言われ続けていた。路地裏には近寄るな。その警句は、何故かこの時楠鴫の頭からすっかり抜け落ちていた。  楠鴫が路地裏に踏み込んでも音は変わらず鳴り続いていた。発生の源に近づくにつれて音がはっきりと聞こえるようになると、それは金属を打ちつけるものだけではないことが分かってくる。何かを擦る音や、空を切る音が混ざっている。そして、それら全ての音が鳴るタイミングは、間隔は短いながらも全く不規則だった。  そこでやっと、自分が危険に近づいているということに気が付いた楠鴫は、途中、壁に立てかけられていた鉄パイプを一本、護身用に掴んだ。服の袖を伸ばして掌に巻き込み、直接鉄パイプに触れないようにする。滑り止めにするというよりは、錆びてザラついた鉄パイプの表面に触れるのを嫌がった。角を曲がれば音の正体がわかるという所で、楠鴫は角を作っている壁に背を付け、鉄パイプを両手で握り直しながら、顔の半分だけを曲がり角の先に覗かせた。  そこには、人がいた。二人である。狭い路地裏を一杯に使い、激しく動き回っている。片方は背の高い男。大きなヘラのような刃物、剣を片手に握っている。そして、もう一方は肩まで髪を伸ばした女。両手で細い棒のようなものを握っている。自分と同じように、そこらで拾った鉄パイプを使っているのだろうと楠鴫は思った。  女が一方的に襲われているようには見えない。彼らはここで戦闘をしているのだ。ただの喧嘩ではない。殺し合いである。  男が振り下ろした剣を女は半身をそらして躱す。その時、女の横顔から覗く片目が、自分を見たように感じた。男が振るう剣を、女は細い武器一本で捌ききっている。時には真っ向から受け止める事もあって、楠鴫は女の細腕のどこにそんな力が備わっているのだろうかと思った。  とはいえ、男が剣を一振りするたびに女は大きく後退する。その速度はほとんど後ろ向きに走っている様なもので、角に隠れた楠鴫の目の前をすぐに通り過ぎた。振り下ろされた男の剣が、楠鴫の目の前でアスファルトを叩く。楠鴫がしまったと思う前に、女を追いかける男の大きな眼が楠鴫の姿を捉えた。一瞬、驚きから更に大きく見開かれた男の眼に、楠鴫は自分の姿が映り込んでいるのを見た気がした。  男は叫びをあげ、反射的に、剣を楠鴫に向かって振り上げる。楠鴫はとっさに鉄パイプを構えたが、男の剣を受けきる事は出来なかった。楠鴫の右腕は軌道を逸れた剣に肩口から切断され、血しぶきを散らせながら跳ね上げられる。  頭上から自らの血がパタパタと降った。男が楠鴫に気を取られた短い間に、下がるきりだった女は一気に男と距離を詰め、渾身の踏込から獲物を振るう。楠鴫が残った左手で傷口を抑えるよりも早く、男の左足が太ももから切り離された。男の体勢が、片膝をつくように崩れた瞬間、頭が胴体から離れる。斬り飛ばされた楠鴫の腕と同時にアスファルトに落ちた。男の首から血が吹き出し、男の白いシャツを赤く変えていく。  男が握っていた剣はどこかへ消えていた。空になった右手を天に掲げたままの男の体が、完全に力を失って地面に倒れるまでのほんの数秒か。楠鴫にはずいぶんと長く感じられた。 「なんじゃ知らんが、相手さんがその子供に気を取られてくれて得したの」  物陰から、長い金髪をストレートに伸ばした、軽薄そうな女が現れる。 「仲間が隠れてたとでも思ったんでしょうね」  先ほどまで激しく動き回り命のやり取りをしていた女は、少し乱れた呼吸を整えながらも淡々とした調子で答えた。人をバラバラにして殺した直後とは思えない様子に、楠鴫はこの女は人を殺す事に慣れているのだと思った。 「仲間が隠れておるというのは合っとったがな。こんなパイプ一本しか持ってない奴が仲間な訳なかろーに」 「この暗がりじゃあ、相手が何を持ってるかまではわからないわよ」 「それもそうか」  肩を揺らして小さく笑いながら、金髪の女は男の死体の傍らにしゃがみ込む。いまだに血を零し続ける男の首からペンダントを奪うと、筒状のトップを開けて中身を確認し、ポケットの中に押し込んだ。戦っていた女は近くに落ちていた楠鴫の右腕を拾って楠鴫に歩を向けた。 「この子の腕、繋がるかしら」  ポケットから取り出した包帯で楠鴫の肩をきつく縛りながら、女は言った。出血の勢いは弱まったが、それでも時々傷口から血が滴った。 「まぁまぁまぁまぁ。この程度じゃあ、止血すりゃあ死にはせん」  金髪の女は男から奪ったペンダントが入ったポケットを機嫌よさそうに何度も叩いては中身を確かめていた。 「そうは言っても、これからの人生、片腕がないままじゃ、不便が多くて可哀想よ」  地面に置いていた楠鴫の腕を拾い直して、金髪の女に渡す。楠鴫は、自分の腕が自分の意識から離れて不安定に折れ曲がったり伸びたりする光景を不気味に感じた。 「まぁ、繋げて繋がらんことはなかろうが」  金髪の女が楠鴫の右腕と肩の切断面を合わせて掌で一周撫でると、楠鴫の腕は傷跡も残さず繋がった。それに合わせて出血も完全に止まったが、それまでに流した血が多すぎたのだろう。強烈なめまいと吐き気に耐えかねて、楠鴫は視界を暗転させた。「よしよし。良い子ね。またいつか会えたら、ご褒美をあげましょうね」  楠鴫は意識を失う直前にゆっくりと頭を撫でられるのを感じた。